長野の農家で住み込みのバイトをした話

若い頃、長野の高原野菜を作っている農家で住みこみでバイトしたことがあります。

3カ月ほど。

当時、20代半ばで、年収900万、営業課長というポストで、仕事を辞めたところでした。

いざ、新しい仕事を。と思っても、一から始めるのには今までやってきたプライドが

邪魔しました。

だからといって、経理や事務的な事は全くできませんでした。

一先ず、アルバイトでも。と思っても、金銭感覚がマヒしてますので、

時給を見ると決めかねますし、それ以前に何がしたいのかも分かりませんでした。



就職情報誌などを見ながら、悶々として、煮詰まったところで、

こんないつまでも変なプライドやお金に関しての価値観がマヒしたままでは

もう一生まともな仕事は出来ないかもしれない?!

大変だ!荒療治をしなくては!

と自分自身に対して思いました。


荒療治のためには今までの仕事と、思いっきり真逆な。

価値観が変わるようなことを自分にしなければ。

と、アルバイト情報誌の中にあった、農作業を手伝う住み込みのアルバイトに

申し込みました。

自然の中で、とにかく体を使った仕事。今の生活から離れて。

もちろん1週間と、出来る気はしませんでしたが、2か月働くと、

往復の交通費が出るという条件でした。


当時は札幌に住んでいましたので、札幌から松本まで飛行機で、

その後、松本からは列車を2本くらい乗り継いで、向かった受け入れ先のお宅は

主にレタスと、白菜、長芋を栽培する農家でした。

ご夫婦に、お子さん2人、おじいちゃん、おばあちゃんという典型的なご家族で、

バイトも、同じお家の一部屋に宿泊して、食事も一緒に食べました。


自分としては一生懸命動きやすい服装を準備して、向かったと思うのですが、

なにせそれまで、10cmヒールに、スーツ、ブルーのマスカラを付けて、髪は巻いて、

アタッシュケースを持って仕事をしてきたのです。


精一杯の格好でも、絶対におかしかったと思います。

あばあちゃんが、真っ先に私に言ってくれたのが、

「あんた、そんな服装ではダメだ。合羽でも、長靴でも、何でも買ってもらいなさい」でした(笑)

本当に、合羽から、帽子から、長靴から、作業用品一式揃えてもらって、(もちろん無料で)

毎日働きました。

その後も、おばあちゃんは私に会うたびに「あんた、ズボンでも上着でも何でも買ってもらいなさい」

と、言ってくれるのですが(笑)

最初こそ、慣れない肉体労働に、とまどいがありましたが、

このご家族が上手に褒めてくれたり、フォローしてくれるので、あっという間に慣れました。


朝一は収穫作業です。涼しいうちにレタスの畑に向かい、最盛期は親戚や子供たちまで

勢ぞろいで、レタスの収穫作業をします。

この列、と言われる畝のレタスに包丁を入れてレタスを切り取り、

切ると、白い汁が出てきて、そのままにすると、切り口の色が悪くなるので、

水をかけてきれいに洗います。

出荷する数ごと並べておくと、段ボールを持った人が1箱ずつレタスを摘めていきます。

その日の出荷数を収穫したら軽トラで農協に運びます。


作業が終わった畑で、みんなで朝ごはんを食べたのがとても印象深かったです。


毎日同じ作業をするという訳ではなく、1日の中で様々な作業がありました。

だいたい朝は収穫作業でしたが、その後はハウスでタネまきしたり、

別の畑で新しいタネまきしたり、草むしりをしたり、と、

離れた畑を回っての作業は意外に飽きずに、疲れすぎることもなく、毎日が過ぎました。

軽トラの荷台に乗って、畑まで移動する道すがらに眺める

山々や畑の緑が本当にキレイでしたし、

夜は真っ暗になりますので、空いっぱいの星の美しさには感動しました。


奥さんは沖縄から嫁いできた人で、さばさばした気さくな方でした。

ほとんど奥さんが我々バイトの面倒を見てくれるのですが、

一番初めに私に聞いてくれたのが、「なんか食べられないものある?」でした。

「嫌いなものは食べなくていいから。納豆でも、ふりかけでもかけて、

食べれそうなものだけ食べなさい。」と言ってくれたおかげで、

好き嫌いの激しい私も 3カ月間、辛い思いも、言い訳しながら食べる事もなく

食卓に並んだおかずの中から、食べられるものだけ食べる事ができました(笑)


実はその当時、情報誌には たくさんの住みこみの農作業のバイトの募集が

あったのですが、なぜ、こちらのお宅にしたかといいますと、三食、おやつ付き。

というおやつ付きに惹かれたからです(笑)

何となく家庭的な、アットホームさを感じたのですが、

その感覚は正解だったと思います。


もちろん文字通りのおやつタイムが作業の合間に2回ありました。

私がポテトチップスが好きだと気付いた奥さんは毎回、ポテトチップスを用意してくれました。


週末になると、ご主人が、ちょっと蕎麦でも食べに行くか。などと言っては

お蕎麦屋さんや、時には甲府まで車を走らせ、ほうとうを食べに連れて行ってくれたり、

トラックに乗せてもらって、東京の市場まで出荷に付き合わせてくれて、

帰りにご飯を食べたり。と、時々息抜きさせてくれるので、

結構あっという間の3カ月間でした。


ちょうどOー157が発生した頃で、レタスなどの生野菜がいけない。

という風評以外が出た年だったため、せっかく作ったレタスが売れなくなりました。

売れなくなると、価格がどんどん下がり、1箱100円にもならなくなり、

(1つ100円ではなく、1箱です。1箱に10個くらい入っていたと思います)

何十円かの段ボール代だけ損だから出荷しない。

となる日もありました。

農協からは価格を安定させるために、出荷調整が度々ありました。

今日は30箱分廃棄して下さい。と言われた日は せっかく立派に出来たレタスを

収穫して、言われた数だけ、畑に山にして捨てるのです。

あとで、農協の人がチェックするので、廃棄しましたよ。といって、残しておくという

ズルは出来ません。

虫が食べたわけでもなく、病気になった訳でもなく、立派なレタスを捨てるのが

辛かった。(もちろん、私以上に農家の皆さんはどんなに辛いかと思いますが)


畑の隅に山になったレタスが黒く腐っていくのが一番悲しかったです。


きっと、その経験があるので、野菜が安いとか、高いとかになると、

必要以上に胸が苦しくなるのだと思います。



結局約束の2か月を働き、その後、予定だったノルウェー旅行に2週間行った後、

頼まれて、もう一度長野に戻って、1ヵ月働くことになりました。


すっかり、私の価値観は変わっていて、生活スタイルも、金銭感覚も戻っていました。

ノルウェー旅行から戻った私はノルウェーに長期間滞在する事を目標に

実家に戻って、バイトしながらお金を貯めよう。と考えていました。


バイトが終了した。最後の夜、

「なんで、もう少し居て欲しいと説得しないのか。」と怒るご主人と、

「せっかく地元に戻って働くって決めてるのに、ひきとめたら可哀想じゃない。」

という奥さんが喧嘩している声を聞き、切ない気持ちになりました。


ご夫婦にも、おじいちゃんや、おばあちゃんにも、子供たちや、親戚の皆さんにも

すごく大事にしてもらって、本当に嬉しかったです。


そして、まさかこの種苗業に携わることになるとは この時夢にも思っていませんでしたが、

今、この3か月間の体験が様々活かされています。


大昔の話ですが、未だに、この時の夏を思い出します。

すごく良い経験をさせてもらったな。と思いますし、

あれが無かったら、今頃どうなっていたのか。と思ったりもします。


b0378101_21162331.jpg

この時、出荷しにいった農協で、初めてズッキーニを見ました。

どんな風に料理するんですか?と、いっぱい農協の人に質問した覚えがあります(笑)

今ではすっかり普通の野菜になりましたね。



































[PR]
by solaogplanta2 | 2018-07-14 00:20 | 旅行 | Comments(0)

ハーブのお仕事とお庭の植物について


by solaogplanta2